京都でシェアハウスやっている僕たち Vol.1

投稿日:2019年1月9日 更新日:

はじめまして。ぼくたち京都でシェアハウスやってます。

  ぼくは社会人ですけど、ぼくたちの経営するシェアハウスでは学生が多いです。

 シェアハウスが増えたら、世の中変わると思ってます。

 よく言われることですから詳しくは書きませんが、今の日本社会はかなり行き詰っていると思います。

 現代社会では個人が抱える問題は内面はメンヘラに、外面は経済的貧困に集約されています。これらは、どちらも個人の自立では解決しようが無い構造的な問題をはらんでおり、少なくとも少人数の集団で解決を図るしかないと考えています。しかし、すでに家族も機能不全に陥っています。

 その要因としては、家族の人数的縮小という文化面の問題、都市への人口流入、社会の有機的統合の欠如という大きな事象がありますが、ここではあまり大きな問題をあげつらいたくありませんので、割愛します。

 とりあえず、ぼくたちは社会に様々な共同性のあり方を提案したいので、シェアハウスの自治を成功させ、その立場を公的にも世間的にも認めさせる方向を考えています。

 

 シェアハウスは、基本的には同世代のコミュニケイションの場になる性質があります。

 

 さらに、すでにある傾向から考えますと、青少年たちに親和性のある共同体であり、ある面では世代的な排他性を認めるべきものでしょう。

 ようするに、少なくとも現状ではシェアハウスは若者たち特有の文化であり、かつ特権です。ここに問題意識もあるのですが、その解決は、少なくとも同世代にこの文化が膾炙するようになってからでも遅くはないとおもいます。

 

 というわけで、ぼくたちはまず、ぼくたちのシェアハウスを成功させて、シェアハウスそのものを世代間に定着させなければいけないです。それは言い換えれば、ぼくたちがシェアハウスという文化を、若者たちにつながりやすい素材や媒体を使って、広めていかなければいけないということでもあります。

 

 若者たちにつながりやすい素材とか文化ですが、若者たちの関心事は最初に異性に向き、次に性的魅力を高めることに繋がり、次にそのための装飾、最後に抽象的な文化につながっていると考えます。これは、自分がそう思うかどうかとは別に、産業革命以後の大衆社会の一般的な性質です。平たく言えばモテが重要なわけです。とりあえず、ダサさを抑え気味にしなければいけないとおもいます。ダサさの反対はかっこよさだと思います。そのために必要なのは、正味、服飾(ファッション)・音楽・芸術です。これに無形の教養とか思想を含めると文化エリートになりますが、とりあえずいまはやめておきましょう。

 かっこよさとはほぼイコール異性にモテることです。そういうと、非モテの人たちが「顔は変えられない」とかいって急にものおじしだしますけど、世の中でモテてるのは、単に顔が良い人、ではなくて、格好が良くて音楽ができて話ができる人です。顔が良い人がダサいとむしろ針のむしろにされたりします。それとフェミの方はたまにフェミニズムの立場からそういう構造を批判したりしてますが、とりあえず早くオシャレ界のヘゲモニーを掌握してフェミニズムファッションをトレンドにしたらいいです。あと、よく勘違いされるんですけど、見た目は八〇パーセントというのは間違いで、見た目は一〇〇パーセントなんです。内面も別の一〇〇パーセントですが、そこにたどり着くまでに、

 

←これはやりすぎ

まず注目に値する外面が必要になります。

 

 とかいっておきながら、シェアハウスにはどうしてもダサい人が集まります。

 シェアハウスに限らず、多くの社会運動は、それ自体がかなり特殊な文化を帯びる傾向がありますが、そのため一回ダサい人が集まると、どうしても服飾とか芸術とかに気を遣う人が寄り付かなくなってしまいます。

 ちなみに、その逆は可能です。モテなどの文化は単に排他的なのではなくて、ヒエラレルヒーなので、モテる人がモテないひとに接するのは、ある種の恩情としてしか成り立たないのです。モテという文脈に限って言えばですね。

 

 労働だの戦争犯罪の追及だの多文化共生だの革命だのの運動は、このヒエラルヒーでみて下の方のひとが集まりやすいので、ほんとに大衆運動をする気があるのかなってよく思います。もっとちなんでいうと、国民の祝日だの日本賞賛だの移民反対だのの右翼運動もまったく同じ境地に立っています。一応、ぼく個人はそういうところと関わりがありますが、彼らのハイコンテクスト感と表裏一体の内輪感には常に閉口していますし、そういう運動はもちろん「国民運動」になりません。

 たまに、運動よりも異性に興味があるやつはフェイクみたいにおっしゃる方もいますが、だったらぼくだけじゃなくて、社会ってほぼフェイク野郎でできていますよね。大衆運動って、それでも人を取り込むことを言うのだと思いますけどね。現にそういう理解の人が大衆から乖離して山岳ベースに立てこもって運動ごと死ぬみたいなことになるとおもいますので、

つべこべいわずにおしゃれしていきましょう。

 

 余談が過ぎました。話を元に戻しますが、現状ぼくらがやっているシェアハウスについては(ぼく自身も含めて)ダサい人・物・コトがすべてになっています。

 すみません、勢いで言い過ぎました。もう少し冷静に現状を案内します。

 とりあえず、ぼくらがいまやっているところに関しては、京大とかこの近くで社会学とか経済学とか文学とかをやっているひとが多いのですが、そうなると界隈の雰囲気は当然ダサくなります。たまたま近くに芸大があるのと、ぼくが個人的につながっていたので、そこの人たちにも来てもらったりしていました。最初は取りつくろっていましたが、ある時期からはめっきがはがれ落ちて、ダサかったり汚かったりするのを常にそしられてます。

 そもそもモテというは文化は清潔感土台にあるのですが、それさえ確保できなくなる傾向にあります。そうなりますと、女子を呼び込めなくなります。そしてますます周囲が非モテ感であふれかえり、その効果から、今度は一定以上モテ・ヒエラルヒーの上位にいる人材をブロックする結果につながります。効き目のダブルブロック。

 

 とはいえ、これは現状の問題であって性質ではありません、改革可能なのです。

 (続く)

 

 

(トモサカアキノリが編集者に無理を通して載せたので、ご意見とか叱咤とか中傷とかあればぜひ私めに)

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