日本発の国公立演劇大学!?
2018年8月23日、兵庫県が、実習を通じて専門的な人材育成を目指す「国際観光芸術専門職大学(仮称)」を豊岡市に設立すると発表した。
学長は平田オリザを予定しており、来年の秋に認可申請をし、2021年に開学を目指すという。実現すれば演劇・ダンスの実技を専門的に学べる、初の国公立大学が誕生するという。
お芝居にも演出にも日本には大学がもっとあるべきなんです。「盗め」じゃなくて、基礎は教えてあげるべきなんです。
賛成。10年後、この試みが業界を助けるはず兵庫 演劇を学べる国公立大の構想を発表 平田オリザさんが学長に https://t.co/E2fE0TkH9T
— Akira Uchikata (@AUchikata) August 25, 2018
大学設立にとどまらない、豊岡市の狙い
豊岡市の発表している「地⽅創⽣の切り札 専門職大学の誘致促進」という資料によると、豊岡市の構想は単に専門職を設置するにとどまらず、平田オリザ率いる青年団の本社の移動、国際演劇祭や劇場の設置も計画している。
演劇やアートを通して地域を活性化しようという計画だ。
演劇は地方活性化の火付け役となりうるのか
パッとこの企画書を見ると、どこまで地域の実態に即しているのかが見えてこないため、危ういようにも思える。そもそも、演劇ってそんな主流でもない芸術で、本当に地域を活性化できるのだろうか。
しかし、演劇や劇場と地域の交流というテーマは、今、京都市でもホットな話題である。
9月7日に出たこちらの記事では、演劇をしている側から、地域に根ざすということを考えている二団体が紹介されている。
「京都 小劇場の灯守れ 2つの新設計画 地域に根ざし」
日本経済新聞に取材いただきました。
関西版夕刊で本日7日掲載されます。
引き続き応援よろしくお願いします!
経済新聞ネットニュース↓↓https://t.co/Z8xKt9rspq https://t.co/Z8xKt9rspq— Theatre E9 Kyoto (@TheatreE9Kyoto) September 7, 2018
そもそも日本の大学で演劇を学ぶ意味とは何か
日本で「役者」になろうと思ったらいくつもの道がある。小さい頃からどこかの事務所に所属してもいいし、バイトしながら、地元の小劇場で時折公演するのだって役者といえるだろう。ワークショップに参加してもいいし、誰かの付き人をするところから始めてもいい。しかし一方で、演劇だけで食べていこうと思うと実現は厳しく、実際にはなにか副業をしている人が大半だろう。
どんな人でも役者や役者の卵になれるとか、演劇の裾野が広いと言えば聞こえはいいが、役者が演劇だけで食べていけないということは、ありていに言ってしまうと、日本では演劇がお金にはならないということだ。「お金に媚びないやりがい」みたいな言葉でごまかさずに語ると、「プロ」としての役者を支えるだけの観客が日本にはいないのだ。それだけの演劇文化の醸成が日本にはないと言えるだろう。
役者のほとんどが演劇大学を卒業している演劇大国
演劇といえば、ロシアが有名だろう。「メソッド」と呼ばれる、今世界中で行われている演技の技法は、ロシアで生まれた。皆さんが好きなハリウッド俳優も、実はかならずその「メソッド」に従って演技しているはずだ。
その演劇大国ロシアの状況はどうかというと、9割以上の役者は演劇大学を卒業して役者をしている。役者や演劇が尊敬されているという言い方もできるし、大学に通うというコストを支払うだけの対価が、大学卒業によって手に入るとも言える。
演劇大学に通い、そこでしっかりスキルをつければ、卒業後には多少なりとも進路がひらけている、仕事が手に入る、そういう状況がロシアの社会にはあるのだろう。
演劇文化の醸成に必要なものは何か
演劇を教える大学があったとして、そこで専門的なスキルを学べたとして、それだけでは文化は育たないのだ。その後の将来や人生設計が描けない状況で、集まる学生といっても限りがあるだろう。
演劇にとって地域が必要
上記の記事に出ている劇団「地点」は、既存の脚本を一度解体して、再構成して世界観を作っていく、前衛的な演出で知られており、とてもとっつきやすい、わかりやすいとは言えない。演劇初心者からしたら、「なにがなんだかさっぱりわからない」と感じることも多いだろう。
文字通り「地域の人にひらかれている」劇場を目指すなら、演劇のプロやファン、批評家だけに通じればいいという風にはいかない。周辺に住んでいる人、つまり、演劇文化に触れたことがない人にも楽しんでもらえる内容にならなければいけないからだ。
一方で、初めての人にもわかりやすいもの、大衆演劇のようなものをするのであれば、テレビのドラマや映画と何が違うのか、あえて劇場に演劇を見に行かなければいけない意味はなんなのか、ということになる。
そもそも日本の大学で演劇を学ぶ意味とは何か
日本で「役者」になろうと思ったらいくつもの道がある。小さい頃からどこかの事務所に所属してもいいし、バイトしながら、地元の小劇場で時折公演するのだって役者といえるだろう。ワークショップに参加してもいいし、誰かの付き人をするところから始めてもいい。しかし一方で、演劇だけで食べていこうと思うと実現は厳しく、実際にはなにか副業をしている人が大半だろう。
どんな人でも役者や役者の卵になれるとか、演劇の裾野が広いと言えば聞こえはいいが、役者が演劇だけで食べていけないということは、ありていに言ってしまうと、日本では演劇がお金にはならないということだ。「お金に媚びないやりがい」みたいな言葉でごまかさずに語ると、「プロ」としての役者を支えるだけの観客が日本にはいないのだ。それだけの演劇文化の醸成が日本にはないと言えるだろう。
役者のほとんどが演劇大学を卒業している演劇大国
演劇といえば、ロシアが有名だろう。「メソッド」と呼ばれる、今世界中で行われている演技の技法は、ロシアで生まれた。皆さんが好きなハリウッド俳優も、実はかならずその「メソッド」に従って演技しているはずだ。
その演劇大国ロシアの状況はどうかというと、9割以上の役者は演劇大学を卒業して役者をしている。役者や演劇が尊敬されているという言い方もできるし、大学に通うというコストを支払うだけの対価が、大学卒業によって手に入るとも言える。
演劇大学に通い、そこでしっかりスキルをつければ、卒業後には多少なりとも進路がひらけている、仕事が手に入る、そういう状況がロシアの社会にはあるのだろう。
演劇文化の醸成に必要なものは何か
演劇を教える大学があったとして、そこで専門的なスキルを学べたとして、それだけでは文化は育たないのだ。その後の将来や人生設計が描けない状況で、集まる学生といっても限りがあるだろう。
これは演劇に限らずすべての文化についても言えることだが、文化を支えるのは文化の産み出し手であると同時に、それを一つの経済活動として成り立たせる消費者なのだ。
結果的に地域が活性化するかもしれない
地点に話を戻すと、前衛であり続けながら、かつ、演劇ファン以外の人にひらかれた演出を突き詰めること、それが演劇の成長にもつながるということだ。それは単に、地域との交流が大事ですね、田舎の人間関係いいですね、みたいな懐古主義ではない。
そして、地域からきちんとお客さんが入ること(=安定した収入が劇団に入ること)が、その地域に演劇文化が根付くなによりの条件だ。
どれだけインターネットが発達しても、演劇はその場所に足を運ばないと見れない。観客が一堂に会するということも、映画やドラマにはない演劇の原始的とも言える特徴だろう。その意味では、地域に根ざした演劇文化は、その土地でのコミュニケーションや交流を活性化もさせるだろうし、その土地そのものを魅力的にもすると思う。
しかし、兵庫県が発表している大学の構想は、「イノベーションで地域課題を解決するプラットフォーム機能を発揮し」みたいな空虚な言葉が並び、地域に根ざしている感じがしない。こういう空虚なカタカナ語に対する批判はすでにされつくしている気もするのでこれ以上深追いもしないが、豊岡市の姿が全く見えてこないのに、地域の活性化もなにもないと思う。
自分たちの言葉を取り戻していくところ、それが第一歩だと思う。
geppo 編集部です。
テクノロジー、シェア、政治に関する幅広いジャンルのニュースをお届けします。ご意見・ご感想は、お問い合わせフォームまで!