Twitterのタイムラインを眺めていたら、「安倍独裁」の単語が流れてくる時が頻繁にあるので、ちょっと思うところがあり執筆に至りました。
まず、独裁を簡単に使いすぎ問題
近年、なんでも独裁と表現する傾向があるみたいです。パワーワードの連続で、まるでタイムラインはショッピングモールのフードコートのようですね。
ちなみに「独裁」はそんなに簡単じゃないです。政権運営に失敗すると高い確率で独裁者は、結構ヤバめの死にかたをします。ムッソリーニなんて、逆さ吊りになっていました。
この酷い死の理由には利権構造の頂点が挙げられます。
「俺も欲しい」と考える他人を監視し、最終的管理を行って利権を守るのはハードワークの極みです。全然、独裁者が楽そうに見えません。若い女性をはべらせて、肖像画を作ってもらっているだけでないことは、わかってもらえそうですね。
現段階で安倍政権が腐敗しているという指摘は、加計学園問題などが発生したことからなんとなく理解できます。
がしかし、「独裁って・・・・マジか。」と私は思いました。かのトルコの首相を務めるエルドアンも独裁と叩かれてました。クーデータグループを根絶やしにする為に、大もとの宗教団体を徹底的に監獄に突っ込みました。同時に自身に批判的なマスコミも潰しました。
ですが、選挙は接戦です。エルドアンの所属するAKPは42%でした。まだ選挙システムが機能しているので独裁状態とは言えないです。注意が必要なのは、言論統制を行なっているので独裁予備軍ではあります。
※2018年9月の記事です。
独裁が嫌なら資本主義構造を肯定しないで!
民主主義を重んじるのに、大企業による中小企業支配に無関心って意味わからんと筆者は考えています。
よくあったのは、スーパーゼネコンと呼ばれる江戸時代から続く総合建設業の大手5社による建設業界の支配。例えば、最近逮捕された某労働組合は大手による下請け中小企業の使い潰しをずっと批判していました。→産経新聞
構図にするとこんな感じです。
生産する際には中小企業を競争させて安く作り、商品が売れなくなったら外部の企業として中小企業を使い捨てるという構造は、資本主義ならではと言ってよいと思います。
ちなみに日本は中小企業が半端ないくらい多いです。
経済を民主化することは資本主義と真逆ーリスク問題編
農林金融2012年4月号 米国における経済学からの農協論の諸潮流 ─新古典派と組織の経済学を中心に─
リスク問題についてです。
とある理論があります。これが良い具合に資本主義制度のリスク問題について追求しているんですね。
プリンシパル=エージェント理論とは、自らの利益のための労務の実施を他の行為主体に委任する場合、依頼人を「プリンシパル」、代理人を「エージェント」と呼び、プリンシパルの利益のために動くことを委任されているはずのエージェントが、プリンシパルの利益に反して“エージェント自身の利益”を優先した行動をとってしまうことを、プリンシパル・エージェント問題という。
以下はプリシンパル・エージェント理論で株式会社を説明した時の図である。リスクと決定の不均衡が起きている。
これに対する協同組合の場合を見てみましょう。
①農業協同組合
②労働者協同組合
労働力を切り売りする労働者は、決定権を持たないことが当然なのか?
民主主義の本質とは、当事者による決定とリスクのバランスの調整だったのではないのか。特定範囲に居住する人間が特定地域における行政のあり方について、決定すること、それが選挙である。政治家とはある範囲の行政長である。
経済になると、途端に決定のバランスが崩れる。資本を投資した株主だけが決定権を有し、もしかしたら【労働者は翌日からの仕事を失う】というのは、いささかバランスの欠いたシステムだ。
ドイツでは労働者の組織、労働組合に経営参加の権利が存在するようである。詳細はここ。
民主化を唱えるなら、大資本の仕切る経済機構に反対しよう!
社会主義というと、管理的で、あたまかも所有の自由がないとイメージがついてしまいますね。労働者の祖国を名乗る政府が、人類史に残る蛮行を働いていたのも、現在進行形で働いているのも事実です。資本主義の方がマシとか言いたくなる気持ちも、お隣のデジタル全体主義国家の記事を読んでいたら頷けます。
しかし、「資本主義は所有の自由がある!我々こそ、私有財産制度から民主主義を作り上げた先駆者である!」というのも盛り過ぎなような気がします。
まず、第一に民主主義を政治世界にだけ表面的に行うのでなく、経済も民主化したらどうなんちゃいますの?と問題提起しておきます。ご意見等ありましたら、ぜひください。
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